こんにちは、CTOの山岡(@hiro_y)です。ここ数年「心理的安全性」という言葉を目にすることが増えました。Web上の記事でも、書店に並ぶ書籍でも。
自分も何度か「心理的安全性」って大事だよね〜と話した記憶があるのですが、実際のところ「心理的安全性」とは何でしょう。大切なのは誰もが同意するでしょうが、皆が思い描く「心理的安全性」が達成された状態は少しずつ違っていたりしないでしょうか。
ちなみに似たような感じで扱われる言葉に「コミュニケーション」があると思っていて、大切なことは否定できないけど具体的に何を指しているかは人それぞれ、という…。最近はなるべく「コミュニケーション」という言葉を使わないようにしてみています。
さて、話を戻します。「心理的安全性」とはそもそも何なのでしょうか。自分なりに考えた結果としては、「状態を指す言葉ではあるけれど直接は作れないもの」です。どのような状態かというと「何を言ったとしても無視されたり責められたりしない」状態です。
何を言ったとしても(当然、暴言を吐いてよいという意味ではありません)無視されたり責められたりしない、つまり皆に聞いてもらえる状態。よさそうですよね。では、その状態はどのようにして成立するのでしょう。「心理的安全性」を大切にしたいから、皆発言するように、聞くようにとトップダウンで指示をしたとして、その状態になれるでしょうか。
むしろ場としては萎縮してしまい、誰も何も言わない雰囲気になってしまいそうです。そうこうするうちに声の大きい人(普段から意思表明をすることに慣れている人、あるいは権力を持っている人)が発言して、他の人は発言しないままになってしまいそう。さて、それは「心理的安全性」を満たしている状態と言えるでしょうか。あれ、そういうことじゃないのではと思いませんでしたか?
「心理的安全性」は作ろうとして作れる状態ではありません。「何を言っても無視されたり責められたりしなかった、聞いてもらえた」という体験を皆が積み重ねた先にある状態です。なのでまずは全員が発言する機会を作ってみましょう。
例えば「最近チーム開発でうれしかったこと」などその人にしか話せない個人的感情を話してもらうのはよい取り組みです。責めようがありませんからね。皆聞きます。「この先チームをどういうふうにしていきたいと思うか」というお題を立ててしまうと、すぐには答えられなかったり、発言に思わず反論したくなってしまうものです。話す訓練と、聞く訓練に皆で取り組めればよいと思います。
あるいは会議の場合だと「チェックイン」を取り入れてもよいかもしれません。会議の冒頭に、会議のテーマについて思っていることや、どう考えてその会議に参加しているか、あるいは今の気持ちなど、参加者全員が一言ずつ発表するのです。皆が発言する機会を持ち、それを皆で聞く時間を共有できる仕組みとして取り入れやすいのではないでしょうか。
そういう実践を繰り返すことで「心理的安全性」が保たれている状態が醸成されます。ここで気を付けなければならないのは、その状態に到達するにはこれまで書いたような地道な日々の取り組みが必要なわけですが、失うのは一瞬だということです。ある会議で誰かの発言が取り上げられなかったり、けなされたりしたらたちまち「心理的安全性」は雲散霧消してしまいます。
「何を言ったとしても無視されたり責められたりしない」状態を保つために、どうやら我々はもっとうまく「話し合い」をできるようになる必要がありそうです。昨年出版された中原淳さんの『「対話と決断」で成果を生む 話し合いの作法』という本がとても参考になったので、最後に紹介させてください。
もっとうまく「話し合い」ができるようになりたいな、と思いつつ。頑張りましょう〜。